聞いて集めた昔の話 第44回

幡谷発電所

(平成20年4月)

 今月は幡谷発電所についてのおはなしです。
 幡谷発電所は、大正15年(昭和元年)に上毛電力株式会社の開設工事で、片品川水系で岩室、上久屋、伏田に次いで4番目として建設されて、また片品地区内に於いては最初の発電所として出来たそうで、昭和2年11月に運転を開始したそうです。その後、現在の東京電力株式会社に移管されたと云う。
 発電所の規模としては、導水路の有効落差は95.33m、2台の発電機を設置し、認可最大出力8,410(KW)を有し、当時としては発電能力の大きい物だったそうです。 片品川水系では、大正4年7月に運転を開始した岩室発電所から、昭和37年10月に運転を開始した戸倉発電所を含めて現在では12ケ所の発電所があります。(根利川発電所を含みます)
 この発電所の建設工事をするために、巾員2m程度の二級国道(日光~沼田線)や県道(沼田~田島線)の改良工事が施工され、翌年の昭和2年には鎌田まで自動車が運行するようになったそうです。
 発電機に使用する水の取水口は、片品川と花咲の塗川の2ケ所にあり、白根山系より流れる大滝川を大滝堰堤で堰き止めて片品川へ送水して、片品川の水と一緒に取水して御座入の沈砂地(ちんさち)を経て摺淵字精進場にある調整池に送られている。
 もう一ツの取水口は、栗生、針山方面から流れる綱沢の水を花咲字下牛平地内で取水して塗川へ送水し、塗川での取水と一緒に摺淵(精進場)にある調整地に送水されて発電機の水力として利用されたそうです。取材でそれぞれの現地を回って見ましたが、現在も80年余の年月を経過していますが同じように取水はされていました。
 また、発電所の導水路(送水管)の脇の斜面にはつづら折の旧道が有りましたが、現在のように道路が整備されていない頃は、幡谷の人達には摺淵への重要な道として使われたり、武尊根分校の通学路として使われていたそうです。
 昭和31年に現在の場所に武尊根分校が移転新築されてから、コンクリート舗装の小型自動車も通れる様な通学路が造られてからは導水路の巡視路以外は使用されていないそうです。
 幡谷発電所が出来たことにより、片品川や塗川から取水を行なうために、特に塗川沿いにあった上摺淵や幡谷部落で利用していた「水車」が水量不足で利用できないことや、発電所建設の用地交渉で協力をしたので、上毛電力株式会社と交渉をして幡谷や上摺淵では「精米所」の建設をしたり、幡谷では各戸に一灯づつ「常夜灯」をつけて頂いたそうです。
 一方の御座入部落では、昭和2年に発電所建設に伴う「沈砂地」が部落の北側に建設されたために、部落内を流れる「生活用水」減少したり「汚染」の心配があり、上毛電力株式会社と交渉をして、その補償として「上水道」の建設をしてもらったそうですが、この「上水道」は当時としては、利根郡下では旧沼田町についで二番目に施工されたそうです。
 幡谷発電所が建設されてから約80年余を経過していますが、一つの施設が出来ることによって地域の発展や生活環境の変化を与えていると取材に協力を頂いた、小林祐次さんと桑原虎吉さんは昔に部落の年寄りから伝え聞いた話をしてくれました。ご協力有難う御座いました。

 

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