聞いて集めた昔の話 第39回

音昌寺の「鐘楼堂」

(平成19年11月)

 今月は、光福山音昌寺の「鐘楼堂」についてのおはなしです。
 音昌寺では、坂西恒喜住職をはじめ檀家の人達が永い間の念願でありました「鐘楼堂」が、坂西住職ご夫妻のご努力と音昌寺の役員をはじめ多くの檀家の人達のご好意に依って前庭の池の脇に、高さ(約5m)廻りは縦、横(約3.6m)ほどの「鐘楼堂」が建立されました。
 「鐘楼堂」の建築については、坂西住職から要望により役員の方々が協議し、また檀家の人々のご理解をいただいて建築が決まり、平成19年3月29日に入澤岩夫総代ほか2名と坂西恒喜住職、坂西徹之(てっし)和尚の5名で、富山県高岡市にある(株)老子製作所「鋳匠(ちゅうしょう)老子次右衛門」を訪ねて、直径2尺8寸(84cm)高さ4尺3寸(129cm)重さ(780㎏)の「鐘楼」を注文をしたそうです。
 「鐘楼」の表側には、「南無高祖承陽大師」(なむこうそじょうようだいし)と彫刻してあり、曹洞宗を開いた和尚「道元禅師」のことを伝えているそうです。また、鐘楼へ登る階段の支柱には、右側に「妙聲綿錦」左側に「転大法輪」と刻まれてあり(一杵すると音がめんめんと響く)(お釋迦の教えを音で表す)と云う意味が込められているそうです。
 「鐘楼堂」の建築には、音昌寺の檀家である深艸正修氏が基礎工事を、入澤新八氏がお堂工事をそれぞれに請けて「誠心、誠意」心をこめて施工してくれたそうです。
 9月の中旬には、高岡市の老子製作所の人が来て「鐘楼」取り付けを行い、9月下旬に工事は完了したそうですが、この「鐘楼堂」工事には、総代をはじめ役員の方々や多くの檀家の人に協力を頂いて立派な「鐘楼堂」が出来たと坂西住職は喜んでおりました。
 10月8日(月)は小雨が降る悪天候ではありましたが、近隣(白沢町から東側)のお寺の和尚さん(8名)に来て頂いて入澤岩夫総代をはじめ役員の方々や御詠歌の皆さんにお越いただき、「鐘供養」の式を行いました。
 式は、「維那」(いの)を大円寺の竹内芳昭住職にお願いし「鐘供養会疏」(かねくようえしょ)を読んで頂き、ご導師は本寺「海蔵寺」の住職高梨好哉(たかなしこうさい)師に依って行なわれました。この後に御導師や代表の方が「鐘楼」の突き初めを行いました。これからは、毎日「鐘楼」を朝(九回)夕方(九回)突くお勤めがありますが、檀家の人達や多くの人々が毎日平穏で幸せな暮らしが出来ますように念じながら、心をこめてお勤めに励みたいと坂西恒喜住職は話をしてくれました。
 また、坂西住職は大晦日に村内の多くの方々に、お気軽に「除夜の鐘」を突きに来て頂きたいと話していました。

 

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