聞いて集めた昔の話 第40回

穴沢の「十二様」

(平成19年12月)

 今月は東小川字穴沢の「十二様」についてのおはなしです。
 穴沢の「十二山神」は部落東側の狩野孝夫横の道路を山根に進み、杉林の中の石段を85段登ったところに祀ってありました。
 この「十二様」(安産の守神とも云われているそうです)は、穴沢部落では以前に掲載した「御霊様」と一緒に部落の人々から熱い信仰を受けているそうです。特に林業が盛んなころは、「十二様」は毎月の十二日には「山仕事」関係の人は仕事を休み「十二様」にお参りをして山仕事の安全を祈願して「十二祭」をしたそうです。
 石段の上の祠には、左側の「十二様」には「天津彦彦火瓊瓊杵尊」(アマツヒコヒコホニニギノミコト)と「木花開耶姫命」(コナハナノサクヤヒメノミコト)の2体が、右側の祠には「大山祇神」(オオヤマツミノミコト)が祀ってありました。
 「大山祇神」は国津神(クニツノカミ)の1人と云われて、関東地方を開いた神様として「箱根神社」には「天津彦彦火瓊瓊杵尊」や「木花開耶姫命」と一緒に祀られているそうです。「大山祇神」の「御神体」は山犬と思われる動物の上に火炎を背にした「神様」が乗っている像で、この様に「十二様」と一緒にその「大山祇神」の分身が祀られているのは、大変珍しいことだそうです。
 昔は、春祭りと秋祭りには村中の人が参拝し、組頭や当番の人が「赤飯」を作ってくれたり、子供には菓子をくれて大変賑やかだったそうですが、今では秋祭りに赤飯をくれているがお参りする人が少なくなったと云う。
また、正月の元日と十二日には村中の人がお参りをしたそうです。十二日にはお参りをした後に午後からは、各家々から一人が出席して新年度の役員選出をした後に、「十二祭り」の祝宴をしたそうで、この習慣は現在も行なわれているそうです。
 石段の両脇には、樹齢100年はあると思われる杉の木と「十二様」の脇には、樹齢300年以上と推測される目通り3.4m、樹高30m程の片品村天然記念物に指定されたカラマツの大木が有りました。この様に永い歴史を刻んだ「十二様」の祠も永い間の風雨で傷みがひどくなり、平成7年10月に部落の人達の寄付で祠の新築と一部石段の改修工事が行なわれたそうです。
 「十二様」の脇には、冷たくてきれいな清水が約100mほど直線に流れ落ちていました。清水の水源は「サエラスキー場」左手奥の熊の窪を水源にしている幾つもの「湧き水」が小助沢から大滝川へ流れるものを途中で取り入れて来たものを、「十二様」より30m程上の平で上組と下組に分水して昔から大事な「生活用水」として部落に流し使われてきたそうです。水温は水源で摂氏8度位で、夏でも部落へ流れて来たものが摂氏10度位と水温の変化が少ないので、近所で「岩魚」や「鱒」の養殖をしている宮田森さんは魚の養殖にはとても適している水だと話をしてくれました。
また、穴沢部落では、宮田氏、狩野氏、須藤氏、星野氏等それぞれに氏神様を祀り信仰をして来ましたが、世の中の変化と共に「神仏」への信仰心が薄れて来たのが寂しいと宮田 勝さんは話してくれました。又、「熊の窪」へ案内をして頂きました宮田照正さんと2人には大変お世話なりまして誠に有難う御座いました。


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