聞いて集めた昔の話 第21回

松樹山龍滄院徳応寺と梅花流詠讃歌

(平成18年4月)

 今月は東小川の龍滄院と詠讃歌(えいさんか)の勉強会についてのおはなしです。
 龍滄院の開山は天正元年(西暦1573年)に、海蔵寺二世巨山亨呑大和尚(こざんきょうどん)を請じて開創されたそうです。寺伝によれば開創の頃は松木(千明牧場へ行く途中の中段の西側のところ)と云う場所にあって天台宗であったという。
 江戸時代の宝暦3年~天明5年(西暦1735~1785年)の第7世、蒼海全龍(そうかいぜんりゅう)大和尚の代に現在の地に移りました。また、宝暦6年(西暦1756年)10月15日に間口8間半(約17m)、奥行7間半(約15m)の本堂が、宝暦9年(西暦1759年)8月に庫裡が現在の中之条町横尾の中澤伝兵衛という棟梁により建てられたと記録がありました。
その後、200年余を経過して来ましたが、永い間の風雨により建物が傷んで来たので多くの檀家のご協力を頂いて、昭和38年には本堂が、昭和44年に庫裡の改修工事が行われて現在の建物になったそうです。
 平成5年10月4日には龍滄院開創(初代住職)の400回忌の「法要」が御本山や県内外から大勢の僧侶をお願いし、又 関係者や檀家の人達を招待して盛大に行われたと泰龍さんは当時を思い出しながら語ってくれました。
 平成16年9月に第21世の田川泰龍(たいりゅう)住職が退任し、現在の第22世住職として田川保雄(ほゆう)住職に継承された時も引き継ぎの式典も多くの僧侶の参列と関係者出席を頂いて盛大に行われたそうです。龍滄院では昭和59年より檀家の人や地域の人達と一緒に「曹洞宗梅花流詠讃歌」の勉強会を毎月二回(第2、第4金曜日)を開催しており、この勉強会には東小川や鎌田の人が主ですが、花咲や伊香原の方から参加をする人もおり、地域の人達と親睦を深めながら続けているそうで、勉強会で習った詠讃歌はお寺の行事「大般若」や各地域の亡き人々の供養のときにお唱えしていると云う。
 曹洞宗では昭和27年から全国的に梅花流詠讃歌の指導を始めており、現在では約17万人位の講員がいるそうでが、龍滄院では講員でなくても気楽な気持ちで勉強会に参加をしてもらうことを基本に行っていると保雄住職は話してくれました。最近では新しい詠讃歌を作るときに作詞や作曲を歌謡界の専門家に依頼して、新しい曲を作ることも有るそうです。(詠讃歌は曹洞宗で伝えている和讃とご詠歌を一ツしたもので各地域に伝わる念仏と同じものです。)
 又、龍滄院では4月10日に大般若「昔は懺法(せんぼう)」の行事が行われて役員や檀家の人があつまり、正午より「お釈迦様」の花祭りをして、午後1時から「十六善神」(じゅうろくぜんじん)に「報恩、感謝、供養」をしてから大般若経六百巻を転読する事によりすべての苦厄を消しさって、内外の怨敵を退散させ、人々の幸福な生活に導いて行くことを目的とした大般若会を行い、御祈祷した後に「災難除け」のお札を檀家に配るそうです。これからも400年以上代々受け継がれてきた由緒ある「龍滄院」を檀家の人達と守って行きたいと、泰龍前住職と保雄住職は話してくれました。取材にご協力を頂きまして誠に有難う御座いました。

 

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