聞いて集めた昔の話 第28回

太田部落の神様合祀

(平成18年11月)

 太田部落には「お稲荷様、十二山神、日光大権現様、八坂神社、八幡様」等の神様が部落内に点在して祀ってありましたが、世の中の移り変わりと共に信仰する人が少なくなったり、冬は雪が多くてお参りする人が減るようになったそうです。
 また、永い間の風雨や雪のために、お社が傷んできたので部落の有志が先頭になり、何度か話し合いをして、平成17年度に部落から太田原へ上る途中にある十二様屋敷に、部落内の主な神様を「合祀」することになり、費用は部落の住人が平等に負担し、敷地の造成や社の建築は部落内の吉野利男氏、入澤一毅氏、吉野清次氏などが請負をして、平成17年6月に現在のお社(間口3間×奥行1,5間)2棟が出来たそうです。
 お社の中には、北側から「お稲荷様」「十二様」「八幡宮」「日光大権現」「八坂神社」の順で祀ってあり、南側の鳥居の脇には庚申塔をはじめ多くの石仏が並んでおりました。
 「お稲荷様」の元社は茨城県笠間市の「笠間稲荷」でどの時代に祀ったかは不明だが、以前のお社は現在の社の南側の道を登った太田原の南の方にありました。現在でも初午の日には当番の人が「赤飯」をつくりお供えしてお参りに来た人にいるそうです。
 「十二様」は昔から現在の十二様屋敷に祀ってあり、山仕事をする人は毎月十二日には仕事を休んでお参りをしてお祭りをしたそうです。また、正月の十二日には初会議をして部落役員決めをしてから十二祭りをする慣習は現在も行われているそうです。
 「八幡宮」の祭った時期は不明で以前は林茂男氏宅の入口から北側へ約200m程入った杉林の中にあったそうですが場所は確認できませんでした。
 「日光権現様」は吉野均さん宅と林多一さん宅裏の山裾に他の石仏などと祀ってあったが、急傾斜地の用璧を造るときに現在の場所に移転をしたと云う。その時に周辺にあった庚申塔などの石仏も一緒に移転し、お社の南側に祭ったそうです。
 祭日は11月3日に越本地区の「にぎりっくら祭り」の終わった後に、部落の役員が作った赤飯をお参りに来た人達にしゃもじで「しゃくって」くれるそうです。
 「八坂神社」の社は昔から十二様屋敷内に祀ってあり、祭は毎年7月第2土曜日に行われる越本の祇園祭として行われているそうで、御神体は素さ鳴尊(すさのうのみこと)とその后(きさき)、子供がなっているそうです。
 昔は祭り以外に楽しみがない時代には多くの人が信仰したり、祭りを楽しみにしていたが、現在では生活環境も変わりスポーツや旅行など多くの楽しみ方が出来るようになって、祭りなどへの感心が薄くなって来たが、神社や神様を合祀することで部落の人達に一人でも多く祭りなどの行事を親しみを持って続けてほしいと吉野利男さんは昔の祭りなどを思い出しながら話しをしてくれました。取材にご協力を頂まして誠に有難う御座いました。

 

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