聞いて集めた昔の話 第18回

越本に伝わる「天狗宮」(てんぐのみや)

(平成17年12月)

 このお宮の創建は、宝亀11年(西暦780年)といわれ、片品村でも一番古いと言われて笠科神社の基(もとい)と伝えられています。社(やしろ)は越本字上而の故笠原章宅の東側にあり、昔は山伏(やまぶし)の修行の場所として建てられたとも伝えられているそうです。天狗宮は片品川を見渡せる小高い川岸のところに奉られてあり、昔から「阿村、上而」部落の人達が台風の被害から逃れるために、台風が来る前の7月30日に無事に収穫の秋を迎えられる事を願って「風まつり」を行ない、現在でも続いているそうです。
 現在では、時代の移り変わりと生活環境の変化の伴い祭りの方法も変わり、8月の天王様のまつり(御神輿)と11月3日の武尊神社のまつり(にぎりっくら)の日に神主に御払いをしてもらい、赤飯を供えて一緒にする様になったそうです。社の中には木札、天狗の面、女性の木彫り像(背丈約20cm程)が奉ってあり、「天狗様」には願い事をしたそうで、特に山稼ぎの人は一本歯の下駄(歯の高さが約30cm位)を奉納して息災を願ったそうで「社」の中に下駄などが沢山あったそうです。
 天狗の面や下駄は、昭和62年11月に上而、阿村をはじめ多くの人達の寄付により「天狗宮の社」が新築されたときにかたずけられたのか現在はありませんでした。また、木彫りの女性像については確かな資料はありませんが、片品川の側(そば)に奉ってあることから諏訪大社の祭神(八坂刀売命、やさかとめのみこと)の分身を「お奉り」して片品川の氾濫(はんらん)による被害から田や畑を守ることを祈願したのではないかと推測されるそうです。
 貞亨3年(西暦1686年)検地による水帳(現在の土地台帳)によると天狗宮の境内に天台宗胎蔵寺(たいぞうじ)の所領地が3反7畝10歩あったそうです。胎蔵寺は嘉禄2年(西暦1226年)に権大僧都清順僧上(ごんのだいそうず、せいじゅんそうじょう)によって開創されて、始めは山伏の修行の場所として出来たと思われるそうです。
 「権大僧都清順僧上」は比叡山延暦寺で修行をした2番目に地位の高い高僧で紫色の衣を身に着けているそうです。寛保3年(西暦1743年)には、一度無住職になり、寺の書物や資料はそのときに散失したものと思われる。明和9年(西暦1772年)に中興され、越本をはじめ土出、戸倉、御座入、摺渕などに檀徒があり、格式のある寺だったが昭和の初めに廃寺になったそうです。同寺では毎年1月28日に「不動ごもり」と云う行事があって近郷近在から多くの参加者があったそうです。
 また、天狗宮の後ろには樹齢(約1300年位)の大杉があったそうで、木魂(木の霊)を祭るために百本の御幣が毎年奉納され、木魂と天狗の双方が敬(うやま)われていたそうですが、明治30年頃に一般に払い下げをされて伐られ大変惜しまれたそうです。現在ではその切り株の中に直径35cm位の杉の木が育っており、吾妻郡にある親子杉を思い出しながら今月の紹介といたします。
 今回の取材には笠原営作氏、後藤正一氏、大竹宗太氏の皆さんに大変ご協力を頂きまして誠にありがとう御座いました。

 

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