聞いて集めた昔の話 第23回

「おていし様とお庚申」

(平成18年6月)

 今月は鍛冶屋部落の「おていし様とお庚申」ついてのおはなしです。
 鍛冶屋部落は(上組、中組、下組)に分かれており、「おていし様」の祭りは「上組」の祭りとして昔から受け継がれて来たそうです。おていし様の奉ってある太子堂は鍛冶屋部落の「民宿山ゆり」から約100m位先の右側の一段高い所に有りました。
 太子堂の中には二体の木像と小さな数体の木像が奉ってありましたが、御神体は「奉修聖徳皇太子」で法隆寺や四天王寺などを建築した木像建築の最高技術を誇る人だったそうで、技術の向上を願って地元花咲の大工さんを始め多くの大工さんがお参りをしたそうです。
 「おていし様」は昭和10年代以前は山崎の「法称寺」に奉ってあったものを昭和10年代の頃に現在の場所にお堂を建て奉り供養を始めたと云う。「おていし様」の祭りは毎年3月15日に上組の各家が交代で宿をして行い、祭りの午前中には各家から1人が出席して宿で御神酒を飲みながら親睦を深めたそうです。又、女の人は午後になり宿へ集まり「念仏」を申して供養をしたそうですが、現在でも男性の集まりは続いているが、「念仏」は社会環境の変化などで若い人達には馴染みが薄い為か現在は行われていないそうです。
 又、鍛冶屋部落には昔から部落全体で行っている「お庚申さま」と云う行事があり、現在も続いているそうです。「お庚申さま」は書物などでは60日毎の「かのえさる」の日に親戚や近所の人達が集まり先祖の供養をすると言われてますが、鍛冶屋部落では秋に毎年交代で宿をする家があって、その年の役員が各家から小麦粉を一升ずつ集めて「うどん」を作るそうです。当日は各家から一人ずつが宿に集まって「うどん」を食べながら先祖の供養をしたそうです。小麦粉一升でうどんが約12ぼっち位出来るそうで、どれだけ食べられるか競争をする人もあったそうです。「お庚申さま」の行事は今も続けられているが、食べる量が少なくなったので集める小麦粉の量が半分になったと云う。
 現在では「お庚申さま」が行われる日は秋の道路愛護の日に変わり、午前中の道路掃除をして午後に当番の人の家(宿)に集まり「うどん」を食べる行事は続いているそうです。
 庚申塔は「太子堂」の敷地内の一段高い場所の道路脇に自然石などで造った塔がありましたが、建立年月日などは不明でした。現在のように社会環境の変化が激しい中で昔から受け継がれて来た行事が少しずつ忘れられそうであるが、いつまでも部落の行事として受け継いでほしいと星野徳次郎さんは話をしてくれました。ご協力有難う御座いました。

 

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