聞いて集めた昔の話 第14回

須賀川のお不動様

(平成17年8月)

 不動明王は仏教の中で中心的な仏様で阿弥陀如来、観音菩薩、につぐ仏様として信仰を集めており、姿は火炎を背負い、右手に剣、左手に 羂索(けんさく)を持ち(火炎は人の煩悩(ぼんのう)を焼き払い、人を迷わす悪を剣で破り、すべての迷える人を羂索で引き上げて救うとされる)人を守る仏様と云われており、又、不動明王は酉年の人の守り本尊で仏事では初七日法要の本尊と云われている。
 須賀川部落には昔からお不動様の祭りが行われており、現在も祭りの様子や方法は変わっているが続いているそうです。お不動様の祀ってある場所は須賀川部落より沼田方面に約800m位のところに不動沢があり、そこから約300mくらい上流に登ったところにおこもり堂があり、さらに少し登ったところにお不動様の祠と三段の滝がありました。
 お不動様は明治10年代に祀られたと伝えられており、このお不動様の入口のところで星野喜三郎と云う人が丁稚奉公での商売経験を生かして店を出し、酒類を中心に砂糖、お菓子、反物などを売っていたそうです。ある時、村人が滝壺を掃除すると滝壺から不動の石仏が出てきたので祠を建てて祀ったそうです。
 旧暦の3月28日(現在は4月28日)の縁日にお参りに来る人たちに菓子を出していたのでお不動様が除々に盛んになったそうです。大正初期に村の青年会の人達が「おこもり堂」を建てて3月27日を「よい不動」といって若い衆が料理と酒を持ち寄ってお籠もりをし一晩中楽しく過ごしたそうです。
 お不動様の縁日には須賀川部落からお不動様まで多くの行燈が道の両側に立てられて、とても賑やかだったそうで、一ツ一ツの行燈には星野吾七と云う絵の大変上手な人がいて、その時々の話題になった事などを書いてくれるのでそれを見るのも楽しみの一ツだと云う。行燈は毎年新しく青年会に入る人達が奉納する習慣だったそうです。星野吾七さん家族はその後、赤城原の開拓に入植し現在では二代後の親族が農業経営を継いでると云う。
 このお不動様には講をつくりお参りに来る人があり、お参りが済むと青年会の人が作った「お札」と「御護符」貰うことが出来たという。
 また、当日は青年会は習った義太夫を聞かせたり、沼田辺りから曲芸師が来て大神楽(だいかぐら)をし、村の念仏会の人が御神酒、赤飯を配って賑やかだったが、大東亜戦争(西暦1941年)が始まったころには、講も無くなりお不動様をお参りする人も少なくなったそうです。
 大正時代に建てたおこもり堂が長い間の風雨のために傷みがひどくなったので、昭和54年4月に現在の「おこもり堂」が部落の人達の寄付により新築されたそうです。
 現在では時代の変化と共にお不動様の祭りもかわり、部落の役員と消防団の人がお参りに行き、御神酒と赤飯を上げて頂くだけになり念仏会の人達は公会堂で念仏をあげて、若い頃の賑やかなお不動様を思い出していると星野成一さん、とみ子さん夫妻は話をしてくれました。

 

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