聞いて集めた昔の話 第42回
(平成20年2月)
今月は正月の「おしめ飾り」と宮参りについてのお話です。
片品村でも昭和30年代ころまでは、各家々でヒノキや杉の木を切って「門松」飾られていましたが、現在では殆ど見られなくなりましたが、今年の正月に土出字伊閑町の高山岩造さんで「おしめ飾り」がされていました。
高山岩造さんに話しを聞いたところ、家にいる孫が「おしめ飾り」を見たことが無いと云うので、今年は家の近所に植えてあった「ヒノキ」を3本ほど切り、50年ぶりに「おしめ飾り」したそうで近所でも評判になっておりました。
この「おしめ飾り」のことは、場所によって呼び方も「門松」や「お松グシ」とも云われて、「おしめ飾り」には杉やヒノキなどがつかわれたそうです。「おしめ飾り」は岩造宅入口に2本の木を立て3m程の高さに横に根元を東側に向けて縛り、その木に細いしめ縄15本を編み込んだ「しめ飾り」が飾ってありました。また、小正月には「みずぶさの木」(赤ぼやとも云う)を切って来て、その枝に米の粉で作った「だんご」を差して飾り、「みずぶさ」の木で作った「花飾り」を枝に掛けたそうで、この「花飾り」は今も続けているそうです。
大正月に立てた木は「初午」まで置いてから片ずけて夏には麦ハッテや秋には稲ハッテに使われたそうです。両脇2本の「お松グシ」には、「オニウチギ」と云う長さ90cm(3尺)位の丸い木が右側に4本、左側に3本が結わえ付けてありましたが、昔は「ナラやハン」の木が使われたそうでです。「オニウチギ」として使った木は取っておいて、春に「味噌煮」をするときに最初のマキとして燃やしたと岩造さんの奥さん(たねさん)は話しをしてくれました。
正月の三ケ日には、新しく炊いたご飯やうどんなどを「オニウチギ」の上にひんぜて(供える)、4日の朝にひんぜた「ご飯やうどん」を下げて「雑炊」にして食べたと云う。
大正月に立てた木は初午まで置いてから片ずけて、麦ハッテ(ハンデとも云う)や稲ハッテとして使われたそうです。
高山岩造さん宅では、先代の人が「浅間神社」や「古峰神社」など信仰に熱く、それぞれの神様が座敷内に祀ってあるので正月には座敷だけでも9ケ所ほどの「しめ飾り」をしたそうで現在でも続けているそうです。先人から伝えられた伝統ある習慣は後世に残したいと思い、毎年行なわれる片品村文化協会民芸部の「しめ縄」作り講習会に参加して講師を務めているそうです。
昔は、元日の初詣には、最初に集会所脇に祀ってある「皇大神宮」(でいじん様と云う)を、その後は「諏訪神社」(伊閑町)、「武尊神社」(新井)、「八幡大神」(伊閑町)の順にお参りをするそうで、雪が多いときには「お参り」をするには1時間位かかったそうで、当時は元日の「初詣」は大変賑やかだったが、時代の移り代わりと共に地域産業の変化などで「お参り」をする人が少なくなったと岩造さんは話しをしてました。
八幡様「八幡神宮」は「民宿とんや」の前から東側に入り山根から少し登った林の中に祀ってありました。平成9年に火災で焼失したが、平成9年9月には多くの人々の寄付によって立派な祠が出来たそうです。この様に先祖が守り続けて来た神社や伝統行事は、次の世代につないで行きたいと岩造さん夫婦は話してくれました。