聞いて集めた昔の話 第25回

雷電さまと馬頭観世音

(平成18年8月)

 今月は下平の春祭り(雷電さま)と馬頭観世音についてのおはなしです。
 下平部落の春祭りは毎年4月15日の行われていますが、祭神は雷電様で昔の祭日は4月17日だったそうですが、明治の中頃に国の施策で片品村の神様合祀がおこなわれてから4月15日に統一されたと云う。
 古い書物などによれば、落雷を除けるために石宮を祭り、その脇に桑の木を植えて雷が落ちない様にその木を短く切って、又、伸びると切り高くしない様にと伝えられているそうです。
 下平の「雷電さま」は、国道120号線から下平部落へ行く途中、「ケイト地区」の大立澤の側の小さな山の一番高いところに石宮が奉ってありました。地元では「おれれん様」と云われており4月15日の祭りには部落の役員がお供え物を持ってお参りに云って来てから神社でお神酒を頂きながら祭りをすると云う。
 昔は農家の習慣として、昭和30年代の中頃までは「馬頭観音」と云って農耕馬を供養する習慣があり、各家々で飼育していた馬は大切な働き手であったと云う。その馬が死亡した後に後生を祈り供養したり、新しい馬を買ったときに元気で無事に育つ様にと「馬頭観世音」に祈願して、皮付きの麦を煮て稲わらで作った「わらぼっち」に入れて三本辻に置いて供養をする習慣がそれぞれの農家で行われたそうです。
 現在、片品村内には三種類の馬頭観世音が見られるそうですが、下平部落には関場地区と南ケイト地区の石仏群の中に二種類の馬頭観世音が数体祭ってありましたが、現在のように農業機械や運搬具のない時代には農家にとっては家畜(馬など)が農家の働き手として如何に大事にされたいたか伺えました。
 馬頭観音は人の死後、冥界(めいかい)に行き「六道」(ろくどう)にわかれるといわれますが、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)のうち、畜生界を受け、この界におちた人々の霊を教え導き救うとされています。 このことから、牛や馬などの家畜の供養のために馬頭観音は建立されたと書物にはありました。現在ように世の中の変化に伴い、伝統ある祭りが簡略化されたり、昔の習慣が忘れられる時代になったが、少しでも記録を残して後世に伝えたいと、星野吉弥さん、高橋やつさん、堀沢戸一さんは若い頃を思い出しながら話をしてくれました。
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