聞いて集めた昔の話 第2回
(平成16年6月)
針山には「穴観音」というお祭りが、現在でも毎年5月の第3日曜日(昔は5月17日行われた)にお祭りが行われており、針山の人や近隣の部落の人がお参りに来るそうです。
観音さまのお堂の前には蚕稲荷大明神の拝殿があり養蚕の神様として広く信仰もあって、養蚕の盛んな頃は地元はもとより利根村方面よりも縁日には多くの参拝する人でにぎわったと云う。
穴観音の由来は、昔 越後の中蒲原郡の東福寺という寺に一寸八分(約5.4㎝)の金の観音様があり、ある時、和尚の夢の中で、「私を上野国の針山新田の岩屋にまつるがよい」というお告げを聞き、和尚の通寛さんはこれは正夢に違いないと思い、寛政十年の春、雪解けを待って観音さまを背負い、三国峠をこえてはるばるこの村に来て、村人に案内されて村の乾(北西)の方角の沢筋をさか登ってみると、お告げのとおり岩屋があったそうです。和尚さんから話を聞いた村人たちは、喜んで岩屋の前を平らにして2間四方のお堂を建てて観音さまを祭ったのが始まりと云われてる。また、穴観音のいわれは、観音さまのお堂が岩穴の前にあるので、いつのまにか穴観音(あながんのん)呼ばれるようになったそうです。
今も語りつがれている話しの中に、村人がお堂の裏にある岩穴は「越後に通じているかも知れない」と言ってニワトリを穴の中にはなしたら何日かしてニワトリは越後の蔵王堂というお堂の裏手の岩穴から出てきたとの話しも伝えられている。この観音様は、高さが一寸八分と小さくて浅草の浅草寺、長野の善光寺、にある物と同じと云われ大変貴重な仏像だそうで、一時期お堂から紛失をしたことがあり、その後お堂に戻されていましたが、人の噂に仏像を持ち帰った人が観音さまの怒りにふれて身体の体調をくずしたり身近に異常があった為に仏像をお堂に返しに来たと語り伝られている。
現在では、お祭り日以外は部落役員宅に保管されており、お祭りの日にお堂に安置して参拝し、お祭りが終わると役員宅で保管するのが慣例になっていると言う。
現在のお堂は、昔のお堂が傷みがひどくなった為に、昭和53年に地元の人をはじめ多くの人達の寄進によって改築されたものだそうですが多くの参拝者が来たころを思い出しながら長治さん千江子さん夫婦は話してくれました。
この穴観音へは針山の長治さん宅の裏を通り間もなく鳥居前で下車して徒歩で10~15分位で参拝できます。