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トマトの雑学その3・・・トマトの歴史

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トマトの原産地

 トマトは、南アメリカのアンデス山脈の高原地帯が原産。ナス科トマト属の緑黄色野菜の一種です。 8世紀の始めころ、アステカやインカの人々が最初に栽培したと言われており、世界には約8000種類以上のトマト仲間が存在しています。日本の場合は、農林水産省の品種登録によると190種類を超える品種が登録されています。

欧米では

 大航海時代の16世紀にスペイン人が南アメリカに到達して、唐辛子、とうもろこし、ジャガイモ、その他の色々な植物の種をヨーロッパに持ち帰りましたが、トマトも同じようにヨーロッパに伝えられました。当時、トマトは有毒である植物に似ていたため、毒であると信じる人も多く最初は観賞用とされていました。しかし、イタリアの貧困層の人々の中に食用にしようと考える人が現れ、試行錯誤を重ねました。トマトが一般の人の食用となったのは18世紀のことです。イタリア、ポルトガル、スペインの地中海地域で好まれるようになり、最初は揚げ物調理されていましたが、フランスや南イタリアではトマトソースが作られるようになり、今では赤色の調味料には欠かせないものとなっています。18世紀末にイタリアでは多彩なトマト料理がすでに生まれ、パスタや肉のトマト煮込みとして重宝されています。しかし、北アメリカではその後もしばらくは食用としては用いられませんでした。

日本では

 トマトが日本に伝わったのは17世紀の半ばです。四代将軍徳川家綱の時代家綱のお抱え絵師であった狩野探幽が「唐なすび」と称して1668年に描いています。トマトが登場する最古の文献は江戸前期の儒学者貝原益軒の『大和本草』(1709年)で、「唐ガキ」と紹介されており、中国では、現在も「西紅柿」と呼ばれています。
  日本でも 最初はヨーロッパと同様に観賞用として珍重されていました。食用になったのは明治以降のことです。キャベツやたまねぎ、アスパラガス、にんじんなどの西洋野菜とともに改めてヨーロッパやアメリカから導入されたのでした。日本で食用として利用されるようになったのは明治以降で、さらに一般に好まれるようになったのは、日本人の味覚にあった品種の育成が盛んになった昭和に入ってからのことです。
 日本でトマトの栽培が始まった頃は、春に種を播いて夏に収穫する作型が一般的でしたが、現在では、ハウス栽培などで年間を通してトマトを栽培されています。

参考資料;一般社団法人とまと学校

 

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