菅沼の「穐葉神社」

(平成20年1月号)

今月は菅沼の「穐葉神社」(あきばじんじゃ)についてのおはなしです。
 穐葉神社(秋葉神社とも言われる)は、大竹敏彦さんと星野健一さんの間の石段を55段ほど登った山の中腹に祀ってありました。
 穐葉神社を祀った云われは、昔に三度の大火事があったそうで、二度は部落の中央を東西に道路が通っており、山を背にした日向側(北)の家々がほとんど焼けたと云うほどの大火事だったそうです。もう一度の火事は道路の南側(日陰側)であり、この時も村の大半が焼け出されたそうで、この様な大火のときには村中を流れる川の水が熱くなるほどだったと伝えられているそうです。
 こうした大火のために、多くの財産や重要な古文書なども焼失し村人の生活も困窮したそうで、このような「わざわい」を鎮めることと、村の安泰を念じて明治34年に「火伏せの神」として、「穐葉神社」が村の中央に位置する山の中腹を平らに整地して、間口4間奥行2間ほどの社殿が建てられたと云う。 社殿の奥には、「穐葉神社」と刻んだ自然石が鎮座し、毎年5月15日「穐葉神社」の祭りには、この社殿に村中の氏子が丸座になって、村の安泰を祈願し「お神酒」を頂きながら祭りをしたと云う。現在でも「お祭り」は続けられており、当日は氏子代表がお神酒を「穐葉様」に上げて来て集会所で行なわれているそうです。
 昔の社殿は、昭和30年代前半の頃に火事により焼失し、社殿に鎮座してあった「穐葉様」は火事で発生する高熱で石の表面が焼けはがれたそうで、その後に新築された社殿には火事で焼けた「穐葉様」と、新しく建立された「穐葉様」一緒に鎮座してありました。
 この「穐葉神社」の話をして頂いた、星野栄作さんが「若い衆」の頃には冬になると村中に「若い衆」が社殿に集まり、「わら細工」をしながら語らいの場所として大変賑やかだったと、半世紀以上を過ぎた昔を思い出しながら話をしてくれました。
 「穐葉神宮」の本宮(秋葉山本宮秋葉神社)は、静岡県浜松市天竜区春野町の赤石山脈の南端にある、標高(866m)の秋葉山の山頂にあり、大宝元年(西暦701年)に「行基」と云う僧に依って寺が開かれたと言われ、和銅2年(西暦709年)に最初のお堂が建てられたそうで、現在では全国に存在する「秋葉神社」の末社は約800社余りと云われる。
 「秋葉神社」の祭神は「火之迦具土大神」(ひのかぐつちのおおかみ)、又は「火産霊神」(ほむすびのかみとも云われる)で、特に度重なる大火に見舞われた江戸時代には、「秋葉大権現」(火防の神)として数多くの「秋葉参りの講」が出来たり、爆発的な信仰を集めるようになったと云う。
 菅沼には、「穐葉神社」のほかに栃木県鹿沼市草久古峰ケ原の「古峰神社」信仰も厚くなり「古峰神社」参りの「講」もでき、毎年部落代表がお参りしお札を受けて来て神社に祭り、その後に各戸に配り安全を祈ったそうです。
 菅沼部落では昔大火事で被害を受けた後は、正月飾りの松などを焼く「どんど焼き」の行事は中止されて、正月飾りは各家々で焼くようになったそうです。
 現在のように耐火技術が発達し、耐火造りの住宅や建物が普及しているが、先祖が体験し伝承してくれた防火に対する「こころ構え」後世に伝えていきたいと栄作さんは話をしてくれました。
 ご協力有難う御座いました。



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