聞いて集めた昔の話 第38回

阿村の「天神様」

(平成19年10月)

 今月は阿村の「天神様」についてのおはなしです。
 阿村の「天神様」は入澤奐(たのし)宅裏の山裾に祀ってありました。「天神様」の祭神は京都の「北野天満宮天神」と伝えられており、当宮は菅原道真公をお祀りした神社であり、国を鎮め守る神様として平安時代中期に「多治比文子」(たじひぶこ)ら民間の人達によって北野の右近馬場に菅原道真公の御霊をお祀りしたのが始まりといわれているそうです。
 菅原道真公は、「和魂漢才」の精神を以って学問に謹まれ、幼少の頃より文才を表し、朝廷の官史として活躍されたそうです。永延元年(西暦987年)に一条天王の令によって初めて「勅祭」が執り行なわれ「北野天満宮天神」の神号が与えられたそうです。
 その後は、一条天皇をはじめ代々皇室の御崇敬(ごすうけい)を受け、江戸時代の寺子屋では学問の神様として御分霊が各地に祀られるなど、「天神様」として親しまれるようになったと云う。<>  阿村の「天神様」も学問の神様として祀られており、この話をして頂いた丈平さんや奐さんが子供(小学1~2年)の頃には小さなお堂で習字の手習いをしたそうです。「天神様」(天神まちとも云うそうです)の祭日は毎年、4月24日と10月24日に行なわれており、子供には当番の人が「しょう油飯」を炊いてくれて、秋には「しょう油飯」の中にさんまが丸ごと入っていて、それを食べるのがとても楽しみだったと懐かしそうに話をしてくれました。
 昔は祭り当日の午後になると、大勢の人が出て「天神様」への入口(登喜多屋脇)からお堂までの約200mほどの道脇に幾つものの「行灯」を立てて、その一ツ一ツに野菜や動物の絵や文字を書いて飾り、夜にはその「行灯」に火を灯して祭りに来る人の足元を照らしたそうです。祭りには当番の人が赤飯をふかしてお参りに来た人達に振舞ったそうです。今では世の中の変化とともに、祭りへの感心は薄れてきてお参りをする人が少なくなったが、毎年の祭りには組頭の人達が赤飯を作り「天神様」に供えてからお参りに来た人に振舞う習慣は続いているそうです。
 現在の「天神様」のお堂は間口4m、奥行き3mほどの新しいお堂が在りましたが、昔の建物は永い間の風雨で土台も腐り、傷みがひどくなったので改築をする話が部落会議で決まり,改築資金を準備するために部落中で積み立てをして、平成13年に現在の祠が出来たそうです。
 「天神様」の脇には根回り3mほど、樹齢100年は有に越えると思われる銀杏の大木がありました。奐さんは子供の頃に木登りをして遊んだり、銀杏の実を取りに登ったと当時を思い出しながら話をしてくれましたが、今では銀杏の木の存在もすっかり忘れられているそうです。この「天神様」の行事をいつまでも続けてほしいと丈平さんと奐さんは話しをしてくれました。

 

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