戸倉に伝わる武尊神社と地蔵まつり

(平成17年6月号)

戸倉部落の入口にある武尊神社は戸倉の鎮守として永い間戸倉の人達の信仰があり、元社は花咲の武尊神社と伝えられている。武尊神社の祭神は穂高見命(ほたかみのみこと)と伝えられているが、その後 日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征でこの地に入ったとの伝承などで、合祀(ごうし)されていつのまにか主祭神とされていると云う。
 また、多くの人に知られている伝説として、日本武尊が山へ修行に行くときに、里芋の葉で足をすべらせてゴマの葉で目をついたために、武尊神社の氏子は里芋とゴマは作らないと伝えられているそうです。
 武尊神社の境内には武尊様や天王様等が祭ってあり、夏の天王様の祭りには初なりの(キユウリなど)野菜を供えたり、武尊様の祭りには当番の人が赤飯をふかして供えたものをお祭りに来た日地達にくれたり子供には菓子をくれたそうです。又、男の人達は天王様に供えたキュウリに味噌をつけて食べながら酒を飲んで祭りをしたが(萩原平人さんの話)、今では部落全体の生活環境や時代の変化で7月30日の天王まつりに武尊神社から御輿を担ぎ出して部落内をまわり、翌31日に花火大会と合わせてする様になったと云う。
 武尊神社は30段ほどの石段の上にあり、石段の下には五層の供養塔や庚申塔が建立されており、梵字の入ったものや自然石で造った庚申塔が7ツ程ありました。一番古いものは文明8年(西暦1476年)9月に建立されたものもあり、最も近いものは昭和55年11月の建立でした。 庚申塔は昔、飢饉(ききん)などで亡くなった先祖の供養をすることを目的に60年毎の(かのえさる)年に建立されていると云う。
 庚申塔の供養は60日毎の(かのえさる)の日に身内のもの、親しい人達、組内のものが集まって先祖の供養をするのが慣わしで、戸倉部落では初雪の降る頃の(かのえさる)の日と60日後の(かのえさる)の日に各組ごとに行ってきたが、最近では観光産業(スキーシーズン)などの都合で行われなくなったそうです。
 今では中断されているが地蔵まつり云うのが行われており、萩原清一宅前にある背丈約40㎝ほどの子育て地蔵を3月23日の晩に(おこもり)と云って清一宅の座敷に祀り部落の人達が個々に手作りの帽子やお掛けなどをお地蔵様にかぶせたりして丈夫に子供が育つ様にお願いをしたそうです。地蔵まつりは3月23日と24日の2日おこなわれて、鎌田の(じゃけつや商店)や越本地区から出店なども出て昭和30年頃まではとても賑やかだったそうです。
 又、子供が産まれると地蔵様の帽子を借りて行き、子供に帽子をかぶせて丈夫で元気に育つ様に祈って、代わりに新しい帽子を供えたと云う。この様な懐かしい祭りや行事が部落全体の観光産業へ移り変わりと時代の変化で忘れられるのが寂しい気持ちがすると萩原清一、すかさん夫妻はしみじみと話してくれました。

 


Copyright (C) 2012-  金子家菜園. All Rights Reserved.